ピカイアさん(@PikaPikaPikaia)の許諾を得て、今年の1月くらいに私が流して大してRTされなかった「足柄県という地学の楽園」というツイートがあります。要するに足柄県(現在の伊豆半島+神奈川県西部+伊豆諸島)は「地学の楽園」だよ~、といった画像です。
しかし、ざっくりとした解説しかありませんので、この記事ではそれらがそれぞれどういうものなのかをそれなりに丁寧に解説していきたいと思います。伊豆大島をはじめに紹介した後、大まかに伊豆半島から右回りで紹介していこうかと思います。
伊豆大島
伊豆大島は東京から高速船でおよそ2時間弱、120kmほどの距離にある火山島です。島の中央に聳え立つ三原山は近年では1986年に噴火したことでも知られています。
それでは見ていきましょう。
スコリアだらけの「砂漠」
大島町: 裏砂漠
日本にはケッペンが言うところの乾燥帯は存在しません。しかし国土地理院に登録されている地名として、日本には「砂漠」とつくものが2個だけ存在します。それは東京都大島町に存在する「裏砂漠」と「奥山砂漠」の2つなのです。
砂漠という言葉を辞書で引くと以下のような定義が見つかります。
雨量が極端に少ないため植物がほとんど育たず、岩石や砂礫からなる地域。 - デジタル大辞泉より
そのため砂漠というのは砂ばかりではなく、礫などで覆われていることも多々あるということです。近年では研究者の間では「沙漠」という表現を用いる場合が増えているのも、この誤解を生みかねない表記を少しでもどうにかしようとする動きの表れではないでしょうか。(個人的には検索が面倒になるだけなのでやめてほしいですが…)
「裏砂漠」というのは三原山の東側に存在する、主に軽石によって覆われている地域のことです。定住者は存在しない上、車での立ち入りが基本的に禁止されているため良い環境が保たれています。
富士山のように「裏」があるなら「表」があると考えがちですが、かつては本当に「表砂漠」が存在したそうです。しかし1950年から続いた中規模の噴火で、表砂漠は溶岩の下になってしまったようです。
参考リンク
- 米田堅持「日本にここだけ 東京の「砂漠」を行く」、毎日新聞、2016年11月20日。
- 「裏砂漠の紹介」、大島観光協会。
- 「裏砂漠」、伊豆大島ジオパーク。
地形の記録「マントルベディング」
大島町: 地層大切断面
どのような噴火形態においても、ある程度の規模があるのならば水蒸気などの気体だけではなく、固体やほぼ固体のようなものが流れ出します。その結果、既存の地形がそのままコーティングされるように流れ出した溶岩などに覆われることが起こります。このようなことを一般に「マントルベディング(mantle bedding)」と呼びます。
これが長い年月繰り返された後、道路工事のためにスパーンと切られたために見られるバームクーヘンのようなものが「地層大切断面」となっています。
何回入力したとしても「マントルペインティング」と間違えてしまうのはご愛嬌ということで。「mantle bedding」、そんな難しい英語じゃないのに。
参考リンク
伊豆半島
伊豆半島は日本では数少ないフィリピン海プレート上に位置する半島です。かつては島であり、それがプレート移動に伴って日本列島に衝突したと考えられています。当然ながらこのような環境では温泉が盛んに湧き出す他、地質学的にも興味深いものが多数存在します。このような環境であるため、ユネスコが認定する「世界ジオパーク」に伊豆半島ジオパークが認定されています。
それでは見ていきましょう。
横穴式の温泉
熱海市: 走り湯
「温泉」と聞いたとき、基本的に地面からモクモクとお湯や蒸気が上ってくるという状況を想定する方が多いと思います。しかしこの「走り湯」では洞窟の奥からお湯が湧いてきます。入浴設備ではありませんが、見学をすることは可能です。
参考リンク
- 「走り湯」、熱海ニュース。
いくつもの隆起段丘
熱海市: 初島
熱海市の沖合に所在する島です。1964年の東海道新幹線開通を契機にリゾート開発が推し進められたため、島の大半はリゾートとなっています。
この島の基盤は「網代玄武岩」とされ、第四紀に伊豆半島側の網代(熱海市街から南へ行った場所にある)に所在した火山からの溶岩が固まったものと考えられています。そのため現在も網代との間に存在する海は、水深100mほどでずっと続いています(杉原、1985)。
網代玄武岩の上にテフラが積もった島なのですが、地震などによって定期的に隆起していることが知られています。隆起は6000年前に形成された面が海抜9mの場所にあるため平均して1.5cmほどと、立地を考えればそれほどではありません(石原ら、1982)。しかしその隆起は地震によって起きているため段丘が形成されるのです。
近年では関東大震災でも隆起が見られ、池田(1930)には「地變ノ主ナルモノハ地割レ、陸地ノ上昇崕崩也」と記されています。ここではこの記録を詳しく追っていくことはしませんが、興味のある方はぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
参考リンク
- 杉原重夫「静岡県、熱海沖初島の海成段丘と断層地形」、『明治大学人文科学研究所紀要』第19巻、1985年3月25日、1-25ページ、ISSN: 0543-3894、hdl: 10291/11976。
- 石橋克彦、太田陽子、松田時彦「相模湾西部, 初島の完新世海成段丘と地殻上下変動」『地震 第2輯』第35巻2号、日本地震学会、1982年、195-212ページ、ISSN: 1883-9029、DOI: 10.4294/zisin1948.35.2_195。
- 池田哲郎「伊豆安房方面津浪並ニ初島地變調査報告」『震災豫防調査會報告』第100巻2号、1925年、97-112ページ、NAID: 110006605993、hdl: 2261/17491。
伊豆東部最大のスコリア丘
伊東市: 大室山
「スコリア」とは噴火の際に火口から出てくる火山噴出物の一つで、火山礫と軽石の中間のような存在です。水に浮くことすらあるほどのスッカスカな軽石と、ガッチガチの火山礫の中間にあるようなものと思っていただければ問題にならないと思います。
大室山はそういったスコリアが積みあがってできた山ですが、この火口からは溶岩も流れ出たことが分かっています。流れ出た溶岩は現在「伊豆高原」と呼ばれる一帯を埋め、海まで続いています。
この山では環境への影響を減らすことを目的として一年に一度野焼きを行っていることや、リフトでないと山の上へ行けないことなどが特徴的です。近隣には伊豆シャボテン動物公園もあり、観光地となっています。
関連リンク
- 小山真人「伊豆東部火山群の時代(42)大室山(1)」2009年3月22日。
火山地形と滝の共演
賀茂郡河津町: 河津七滝
初見殺しの「かわづななだる」でおなじみの滝が続いている場所です。実はこのサイトのfaviconも河津七滝の一つ「釜滝(読み方は当然かまだる)」にある柱状節理を切り抜いたものです。元画像はこのページと同じくCC BY-SA 4.0としてあるので、ルールを守ってご使用ください。
さて七つの滝と書くからには、以下の通り七つの滝が存在します。
- 釜滝
- エビ滝
- 蛇滝
- 初景滝
- カニ滝
- 出合滝
- 大滝
それぞれの滝にはそれぞれの表情があり大変楽しいのですが、個人的には釜滝と蛇滝、出合滝がおすすめです。水の流れに柱状節理が華を添えており、震えるほど美しいと思います。
またこれら7つの滝の上流に「猿田淵(さるたふち)」もあり、セットで訪れることをおすすめします。
参考リンク
- 「河津七滝(かわづななだる)」河津町。
- 「河津七滝一覧」伊豆半島ジオパーク。
柱状節理の海岸
下田市: 爪木崎俵磯
俵というものを一般化して考えると、ある程度筒状をした細長い容器として考えられるかと思います。その「俵」…もとい柱状節理が多数見られる海岸です。この柱状節理は岩床(英語: sill)として海中で形成されたものであり、これが隆起して地上に現れたものです。
参考リンク
- 「爪木崎の俵磯」伊豆半島ジオパーク。
風で作られたサンドスキー場
下田市: 田牛サンドスキー場
私がWikipediaの当該記事の初版を作ったという意味で、ある意味思い入れのあるサンドスキー場です。詳しいことはWikipediaを見てください。
と、全部投げるのもあれなので簡単に説明すると、海から陸地に向けて風が吹いた際、海岸にある砂を傾斜地のふもとに積み上げていくことがあります。これが長い間にわたって繰り返された結果、安息角で積みあがった砂の山が崖沿いに形成されたのが、田牛サンドスキー場です。サンドスキー場と名前が付いている通り、近隣の商店で有料でそりを借りることによって滑ることができます。結構楽しいです。
ちなみに読み方は「とうじ」です。読めない。
参考リンク
- 「田牛サンドスキー場」、伊豆半島ジオパーク。
伊豆石の採石場跡
賀茂郡南伊豆町: 入間千畳敷
「伊豆石」という石材があります。石材を説明するときにそのすごさを簡単に示すためには、使用された建物を示すことが多いらしいので示すと、江戸城の石垣に用いられたとのことです。安山岩を主とする比較的固いものと、凝灰岩を主とする比較的柔らかいものの二つがあるとのことですが、どちらも石材としてとくに江戸時代に盛んに用いられていたとのことです。
そのような伊豆石の採石場のうち伊豆半島南部にあったものの一つがこの入間千畳敷です。ここでは比較的柔らかい凝灰岩を主としたものの採掘を行っていた跡があります。難易度は高いですが、南伊豆ジオパークビジターセンターではガイドツアーを行っているとのことなので、脚に自信がある方は参加してみてはいかがでしょうか。
参考リンク
- 金子浩之「近世伊豆産石材研究ノート」考古学論究第7巻、立正大学考古学会、2000年、274-283ページ、NAID: 40004939452、国立国会図書館書誌ID: 5560483。
クソデカ火山岩頚
賀茂郡松崎町: 千貫門
火山が噴火する前には、既に存在する地層を突き破ってマグマが地面へと上昇してきます。この「マグマの通り道」が冷えてしまって固まった後、その周りにある地層が侵食されてなくなってしまうと、棒のように突き出してしまいます。この突き出してしまったかつてのマグマを「火山岩頚」と呼びます。
この火山岩頚は世界中にあり有名なものとしては孀婦岩がありますが、この場所では駿河湾を挟んで、富士山と共に眺めることができます。
ただこの記事を書いている2022年6月現在では、2020年7月に発生した豪雨の影響で道が通行止めになってしまっているとのことです。
- 「千貫門」松崎町観光協会。
火山灰層中の仏像 and 露天風呂
賀茂郡西伊豆町: 沢田公園
火山灰層は掘りやすいことが多いため、人工的に洞窟を作り、その中に仏像を置くことは多いでしょう。しかし、その洞窟内に仏の壁画を書くというものはあまりないのではないでしょうか。仏像と表現するよりも仏画と表現したほうが良かった気はしますが、沢田公園にはそのような洞窟壁画が残っているとのことです。
他にも有料の露天風呂が公園にあり、駿河湾を一望できるとのことです。
参考リンク
船で入れる海蝕洞
賀茂郡西伊豆町: 堂ヶ島
西伊豆を代表する観光地の一つです。近隣に所在するトンボロでも広く知られています。
ここに所在する「天窓洞」はいわゆる海蝕洞の一つです。海蝕洞は簡単に言えば波の力で海沿いの崖に穴が開き洞窟となったものですが、この天窓洞ではその天井の一部が崩落してしまっています。
このため、洞窟に入ると一度暗くなり、しばらくすると陽の光が差し込んでくるといった場所になっています。天窓洞は上から見ることもできますが、有料で定期的に洞窟内に入るフェリーが運航されており、洞窟の中から洞窟を退官することが可能です。
参考リンク
- 小山真人「白浜層群の時代(3)堂ヶ島の地層美(上)」2007年。
2000万年前の枕状溶岩
賀茂郡西伊豆町: 一色の枕状溶岩
溶岩と聞くとゴツゴツしていたりトゲトゲしていたりといった印象を持つ方がいますが、「枕状溶岩」はそんなことはありません。枕状溶岩は海中噴火で噴出した溶岩が水の中で急速に固まったもので、「枕」の名前が示す通り丸みのある特徴的な形状を示します(そのうち別記事で詳しく書くと思います)。また、枕状溶岩が存在するということは、枕状溶岩が形成された年代にそこは水中(十中八九海中)であったことを示す証拠となります。
一色の枕状溶岩は仁科層群に所在していますが、この近辺は伊豆半島で最も古い年代の層群で、約2000万年前のものであると考えられています。
参考リンク
黄金色の熱水変質
賀茂郡西伊豆町: 黄金崎
お肉を焼いたとき、柔らかくなる肉と固くなる肉の両方ありますが、どちらも熱によるものといえます。このように熱には何かの構造を変化させるという能力があります。「熱水変質」も非常に簡単に言えばそのようなもので、地球の内部で温められた熱水が地面の間を通過することにより、その周辺に存在する鉱物が変質するものです。
黄金崎もそんな熱水変質を受けた層からできており、「黄金崎」の名にふさわしく夕暮れ時には美しく黄色に輝きます。
参考リンク
- 「黄金崎」伊豆半島ジオパーク。
かつて佐渡に次いだ金山
沼津市: 土肥金山
桃太郎電鉄シリーズで物件を購入するときに、若干の背徳感があってゾクゾクしてしまうものの一つに佐渡の金山があるかと思います。この影響からか「金山はギャンブル性がある気がする…!」と個人的に思う側面もありましたが、実際の金山はそんな運用はほとんどされずに、調査を繰り返し行って採掘が続けられます。
そんな金山の一つに「土肥金山」が存在します。現在でこそかつての坑道や巨大な金塊がある場所となっていますが、かつては年間に金を40tも産出する、佐渡金山に次いで2位の、日本の一大金山でした。
この金は熱水によってもたらされたと考えられており、火山活動の活発さが垣間見えます。
参考リンク
- 吉武宗一「土肥金山報文」日本鑛業會誌、第29巻344号、1913年、938-946ページ、DOI: 10.11508/shigentosozai1885.29.938
- 非常に古い論文ですが、内容は面白かったので参考リンクに挙げさせていただきます。
- 「土肥金山」伊豆半島ジオパーク。
一面の柱状節理
伊豆市: 旭滝
……わたしはこの温泉宿にもう一月ばかり滞在しています。が、肝腎の「風景」はまだ一枚も仕上げません。まず湯にはいったり、講談本を読んだり、狭い町を散歩したり、――そんなことを繰り返して暮らしているのです。我ながらだらしのないのには呆れますが。 - 芥川龍之介「温泉だより」より
芥川龍之介が伊豆に度々訪れていたという話は有名だと思いますが、伊豆の中でも修善寺によく訪れていたようで、上記に挙げた小説は修善寺を舞台に人からの伝聞という形で物語が進行していきます。
ちなみにこの小説は、自分の死後、解剖のために病院へ身体を売るという約束をした萩野半之丞という大工が、急に無気力に共同浴場に入り続け…といった話です(めちゃくちゃ端折りました)。微妙に後味が悪いので続きが読みたい方は自分でそのリンクをクリックしてください。要するに本筋とは関係ないです。
さてそんな修善寺も地学の楽園の一部であるから何かあると考える人もいるでしょう。ご想像の通り存在します。ここでは「旭滝」を紹介しようかと思います。
旭滝という滝はこれまで何回か紹介してきた柱状節理で形成された壁面を水が流れ落ちる場所です。似たようなところに河津七滝がありますが、旭滝は柱状節理の断面が明確に見える形で、さらにそこを水が流れていくという、別の美しさが存在します。
またこの滝は「瀧落」という尺八の曲の作曲場所とされています。
参考リンク
海から数mの淡水池
沼津市: 神池
伊豆半島の形を見てみると、西の方でクイっと急に陸が細くなる箇所があります。この箇所の太い側には大瀬崎という岬があり、その岬の先には神池という淡水池があります。
この神池は海から最も近いところで数mという近さで、塩水が流入していてもおかしくありませんが、実は淡水の池となっており、やたら食欲旺盛な鯉が住んでいます。
なぜ淡水池であるのかを調査しようにも、池に立ち入るのが禁止されており、非侵襲的にこの謎を解明するのは極めて難しいといえるでしょう。
そういえば大昔に動画を作ってましたね。一応乗っけておきます。
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