ものすごく計画的な小中学生を除いて、お盆を過ぎて夏休みの終わりにのしかかる大きな課題といえば自由研究でしょう。自由研究というものは「自由」というワードが付いているのでどこかで勘違いをして後回しにしがちですし、ネットや書籍などで紹介されている実験をやるにしても「家庭にあるもの」というものが案外家に無かったりして準備に手間取ることも珍しくはないかと思います。
こんな風に 「自由研究はすぐ終わる」と思っていたらそうではない方も多いのでは ないでしょうか。手間取ってしまうことが多発してしまう理由としては、自由研究というのは単純作業ではないがために、時間をかけることで押し通すことが難しいという側面があることが見逃されがちだからだと考えています。もし自分のやっている「自由研究」にそういった側面が無いようなものだったら「本校の自由研究課題の有効性」というタイトルを付けた教育学的レポートを書いた方が、その「自由研究」をやるよりもよっぽどいいと思います。
しかし私は逆張り大好きなので、こうした自由研究の提出危機に対しても「大人っぽいレポートを書けばごまかせるのでは?」と考えてしまいます。先生は給特法のせいで無限に定額で働かされているのでどうせざっくりしか見ていないのではないか実際はそんなことはなく、定額働かされ放題の中でもきちんと見られているとは思いますが。そんな風に思えている人は私以外にいると信じてみます。
そのため、10秒くらいで思いついて2時間で書いた「自由研究レポートをちょっと大人っぽくする方法」をまとめてみました。
結論
- IMRaDスタイルで書く
- 先行研究で差をつける
- 著作権法を使い倒す
- 再現性を高くする
- 変えるところは基本一つ
- ストーリーを作らない(当たり前)
IMRaD
「自由研究とか読書感想文は型にはめて書け!」ということを突然言われ、よく分からない枠が複数あるプリントを渡された方も多いかもしれません。「知りたいこと」・「仮説」・「方法」・「結論」みたいなそんなやつですね。個人的にこういったスタイルのプリントについて、紋切り型の回答しか捻り出せなかった私はあまり好きではありませんが、このプリントがやりたいことを考えればそんなに悪いものではないとは思えます。
こういったプリントが行いたいことを一言で表すのならば「構造化されたもので書け」という感じが一番いいのでしょうか。構造化されていることのメリットとして、読む側にとっては誰が書いた文章であっても流れが読めるというものが、書く側にとってはいつも同じスタイルで書くことが出来るというものが思いつくかと思います。
科学という一つの言葉で表されるものの中には非常に幅広い分野があり、それぞれの世界でちょっとずつ流儀が異なったりすることも多々あります。しかしながら今回紹介する「IMRaD(イムラッド)」という書き方は基本的にどこに行っても通用する書き方の構造だと思っていただいて差支えはないでしょう。つまりそれだけ便利だってことです。
IMRaDはアクロニムであり、それぞれは以下の意味を持っています。
- I: Introduction - 導入
- M: Methods - 研究方法
- R: Results - 結果
- D: Discussion - 考察
詳しいことはWikipediaの該当ページを見てほしいのですが、要するにレポートを「導入→研究方法→結果→考察」の順で書け、というものです。とはいえこれだけを読んで、穴埋めのように当て付けレポートを書いて不幸になってほしくはないことから、なぜこのような順番で書くとよいのかということをちょっと考えてみましょう。
狭めて広げる
一般に発表される研究成果は様々なものがありますが、その多くは「広い課題→狭い条件での実験→広く展開しうる結論」という形をとっています。これを桃太郎を使うとこんな感じになります。
- 黍団子の効能について調べたい
- 桃太郎による実践によれば、黍団子は仲間を得ることに有用である
- 黍団子そのものが持つエネルギーというよりは、何かを与えるというその行為自体に価値があるのではないか
私がこんな論文を書いたら一発でrejectされることは目に見えていますが、「広いもの→狭い実験→広い結論」という形をとっていることは理解していただけたでしょうか。こうすることによって一般論への展開がしやすくなるといったメリットや、論理の矛盾を発見しやすいというポイントがあります。
先行研究
基本的に自由研究でよっぽど独創的(これは本当によっぽど)かつ小中学生の力で実行可能な課題を設定したとしても、その分野についてCiNii Researchとかで「ある程度絞った検索ワード」の検索をしてみましょう。こういった検索ワードが思いつかない場合はWikipediaとかをポチポチしながら、いい感じのワードを探してみましょう。何かしらの研究成果が出てくるはずです。全くないことも無いことは無いのですが、ちょっと視点を変えてみたりすると出てくることもあったりします。
このようなことは、あなたに独創性がないだとかパクリしかできないということを示しているものではありません。むしろゼロベースで始めなくていいことを示しています。「巨人の肩の上に立つ」という有名な言葉がありますが、そうやってこれまでの研究者の死骸の上に立つことによってさらに大きな視点を見ることが出来ます(だからこそ研究所などの閉鎖は、死体の山の案内人を片付けてしまうという問題があるがために大モメします)。そのため例え自由研究といっても、実験を始める前に巨人の肩へと上っておくことは非常に大切です。(ところで小学生くらいの年代の子にはやたら「パクリ」に厳しい子がいますよね。生まれた瞬間から独自の言語体系でも持っていたのでしょうか。)
また出典を書いてみるという経験も非常に重要だと思います。世の中の「知」がどうやって積み重なっていくのかということを垣間見ることが出来ますし、なぜこんなにもISBNだとかDOIだとかといった文献管理用のIDがたくさん存在してしまっているのか、という疑問から調べてみるのも面白いかもしれません。
著作権法について
学校教育などにおいて何かを作成する場合に、「著作権があるからダメ」という雑すぎる統制が行われることがよくあるかと思います。要するに余計なもめる原因を排除したいらしいのですが、ここで日本の著作権法の第一条を読んでみましょう。
この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。
そのためむしろ学校教育の内側でガンガン著作権の及ぶものを使用して、侵害しそうになったら自分で許諾お願いメールを書かせる、みたいなことをやってほしいとずっと思っています。
個人的な心情は置いといて自由研究の話に戻りましょう。著作権法の第三十二条で「引用」というものが定められています。引用要件を満たすことで他者の著作物の一部を用いることが出来るというものです。詳しいことはCRICが引用以外も含めた自由に著作物を用いることが出来る場合をまとめているので参考にしてみてください。
レポートにおいてもその前提となる研究成果などを引用することで分かりやすくすることが可能となっています。規定に引っ掛からないようにしながら適切に処理しましょう。
再現性を高く
科学と疑似科学の線引きは非常に曖昧で、かつては「線引き問題」と呼ばれる科学哲学の一分野を形成していました(現在ではLarry Laudanさんの「The Demise of the Demarcation Problem」という論文の中で示された「科学」の定義を示すことは不可能であるとして線引きそのものが不可能である、というのが受け入れられています。)。個人的には「反論があった時に、それが意味のあるものであったら誠意ある対応を行う」という姿勢があるか否かというのが科学者としての姿勢であると思っているので、科学と疑似科学の線引きはその辺りであるのかなとは考えています。
もちろんこれらに付随する問題は人によって多様な解がなされており、一つの解が完璧であるとは言えません。しかしながら多くの人々によって受け入れられている物の一つとして「再現性」の存在というものがあります。「再現性」というものを一言で説明することは大変難しいのですが、あえて一言で定義するとすれば「何も知らない人が同じ実験をやっても、その結果と同じものが出来上がる」となるのではないでしょうか。
これは科学的方法論の根幹に近しい考えのようなものであり、その研究(ひいては学問全体)が科学的な論理を持っているかを見定めるのに有効なものです。心理学や臨床医学の分野ではこういった再現性のなさが問題になることも多々あるそうです。
つまり自由研究の実験とはいえ、一回やった実験は可能な限り別の人がやっても同じ結果が得られるようにすることが大切であるということです。これは実験結果を操作しろと言っているわけではなく、誰がやろうが同じになるような実験を組み立てることが大切であり、科学的なものかどうかを決める重要な点であるということです。
基本一つだけ
「対照実験」という言葉があります。小学校の学習指導要領の参考資料(植物の養分と水の通り道など)にも載っているので、ワードとして出てきたことがなくてもその仕組み自体は良く知られている単語であるとは思います。
要するに比較が伴う実験を行う場合は基本的に変える要素は一つだけにするべきということです。一応複数の要素を変えて実験することは不可能ではありませんが、解析がびっくりするくらい面倒になるので、数をそろえられるのなら一つずつ条件を変えてみましょう。
ストーリーを作らない
これはあまりに当たり前すぎて触れられない事柄ですね。もはや。
レポートを書いていると、どうしても仮説の通りに話を進めてみたかったり、結論を先に設定してその結論に落とし込むように結果を誘導したくなったりします。しかしながらこれは科学における不正行為の最たるものであり、例え自由研究であったとしても許されるようなことはありません。
また故意で無くともこのようなことを無意識に行ってしまうこともあります。客観的に見てストーリーを作っていないかを定期的に確認しておくといいでしょう。
関連リンク
- 小泉治彦「理科課題研究ガイドブック 第4版 ~どうやって進めるか、どうやってまとめるか~」千葉大学先進科学センター、2022年1月28日。
- 高校生向けの冊子ですが、どの年代の方でも十分に役に立つ内容だと思います。全文がPDFで公開されていますので、この記事を読み続けて表面を繕うよりも、そのPDFファイルを読みながら自由研究を進めていくことを強くおすすめします。
- 「科学研究ガイドブック」熊本県立教育センター。
- 「総合的な探究の時間」NHK高校講座。
最後に
こんなタイトルの記事を読んで何か得られるものがあったのならば、検索ワードをもっと工夫するか見た目によらずにきちんと自分なりの実験・解析を行った方があなたのためになるかと思います。というのも目の前のものに正直な実験を行うことが出来れば、型をそれほど気にせずとも自然にそういったレポートを書くことが出来るからです。
といっても一番の元凶は研究方法にフォーカスを当てた授業をまともに行わず、(全ての先生がそうじゃないと思いますし、私を育ててくださった先生の大半は幸いなことにそうでははありませんでしたが)個性をぶっ潰す方向性ばかりに普段は本気を出しておきながら、いざ夏休みになったとたんに「はい夏休み!自由研究!!やれやれやれやれ!!!」と押し付けることであるとは思っています。また、理解のないことに目を付けた大人たちが研究方法を教育するのではなく、出来合いの「実験セット」を売り結論を見えさせてしまうというところも、メインの問題ではありませんが自由研究の形骸化の大きな要因だとは思っています。
そんな私も執筆の動機は半分自由研究にぴったりな火山モデル比較の泥鰌狙いですし、それっぽいことを並べても説得力はないのですが…。まあ要するに自由研究はちゃんとやりましょう、という話です。