99年前(1923年)の今日の11時58分。神奈川県西部で、プレート内のひずみが多大な揺れと共に軽減されました。そしてその揺れは昼時の南関東地方を襲い、街を壊滅させた上、そこに住まわれていた方の多くが亡くなってしまう原因になりました。
このことを関東大震災、そして地震そのもののことを大正関東地震というのですが、この記事では地震そのものについて見ていこうかと思います。
結論
- 震度6といわれている地震
- 震災は地震による被害などを示す
- 地震は繰り返す
震度
現在では0~7までの10段階ある「(気象庁による)震度」というものは機械的に測定されていますが、かつては人の手によって観測されていました。様々に測定方法は変化していますが、基本的に数字が大きくなればなるほど大きな揺れであると言えます。
今回触れる大正関東地震での最大震度は6です。ちなみに当時の最高震度は6です。
もちろんこれは「震度」なので関東のいたるところで震度6が観測されたわけではありませんが、少なくとも当時の考えられうる揺れの中で最大の揺れが発生したことは知っていただきたいです。
地震と震災
大正関東地震と関東大震災の関係性というのは曖昧になりがちです。というよりこの手の大規模災害では、地震とそれによる被害の差が曖昧になりがちです。そのためここで一回整理しておきましょう。
ものすごく単純に言えばこんな感じです。
- 地震: プレート境界や断層などで発生する揺れ
- 震災: 地震を原因とする被害をひっくるめた名称
そのため「震災」という用語には火災による被害や津波による被害など、地震に起因する多様な被害が含まれます。大正関東地震に起因する震災、すなわち関東大震災では地震による建築物の倒壊が多く起こり、浅草のランドマークの1つであった「浅草凌雲閣」の上部3分の1が崩れてしまったことだけでもかなり大きな被害と言えます。しかしながら発生時刻が午前11時58分と炊事のタイミングとマッチしたこと、そして谷根千地域を歩くとちょっと分かったような気になるのですが当時の東京は木造建築が多かったことに起因して、火災の被害がかなり大きなものとなってしまいました。
上に挙げた画像は竹橋にあった「震災イチョウ」と呼ばれるイチョウで、このイチョウの周りに生えていた樹木のほとんどが燃えてしまったことから保存されているものです。もっと高画質の画像はWikimedia Commonsにありますので、ライセンスに従ってご利用ください。
相模トラフ巨大地震
関東より西の太平洋沿岸にお住みの方の多くは、小さな頃から南海トラフ巨大地震の恐怖を学んでいるかと思います。日本はプレートが沈み込んでいる場所に位置しており、その沈み込む場所にある谷のような地形、すなわち「海溝」であったり「トラフ」であったりするところがあります。
プレートの沈み込みに起因する地震は、プレートが沈み込み続けることによって繰り返し発生します。すなわち大きな地震が起きたからといって一回きりではなく、ある程度の時間的スパンをおいて、同じような場所で似たような性質を持つ地震が発生する可能性があるということです。
この大正関東地震と同じような地震として想定されているものとして「相模トラフ巨大地震」があります。そもそも「大正関東地震」に「大正」が付いている時点で大正以外にも関東で地震が発生していることを間接的に示していますからね。
関連リンク
- 気象庁震度データベース
- 相模トラフ - 地震本部。
最後に
- 前回のざっくりわかる防災シリーズ: 火山灰と水が混ざってしまった火山泥流
- 次回のざっくりわかる防災シリーズ: 2022年パキスタンでの大洪水に関するメモ
防災の日なので取り敢えず書いてみました。地震そのものに関する資料が絶妙に少ないのと書いていて悲しくなってくるので控えめな記載量になってしまいましたがお許しください。