「知的財産」という言葉があります。特許庁のサイトによれば、「知的創造活動によって生み出されたものを、創作した人の財産として保護するため」に知的財産権の制度があるとのことです。すなわち知的創造活動によって生み出されたものは財産であり、それを保護する制度もあるということです。
しかしながら私は(もちろん法律について考える場合などは除いて)可能な限り「知的財産」という言葉をあまり使わないようにしています。そのため「IP」といった時は当然「IPアドレス」を想像します。この理由として、私は知的財産が「財産」であるとは強く感じていないものがあります。もちろん財であることは分かっているのですが、コンテンツの周りに高い壁を作って守るような性質があるのかと言えばそうではないと考えています。
この記事では後出しじゃんけんにならないように「私のコンテンツに対する考え方」・「私のサイトに対する考え方」を書いていこうと思います。少なくとも調べ物の参考にはならないと思う。
結論
- 新しいものを生み出すためのもの
- 「ざっくりわかる」は最低を目指している
- ライセンスを守って料理してほしい
公共財としての知識
財というものを大きく分類する方法の一つに、競合性の有無・排除性の有無で分類するものがあります。同じものを他の人がいつでも同時に消費できるかという競合性と、その財を使う人を制限できるのかという排除性は独立したものとみなされるので、それぞれの有無を見ることで財を4種類に分類することが出来ます。そのうち競合性と排除性双方が存在しない(より広くとらえるのであればどちらかが存在しない)財のことを「公共財」と言います。
さて、「知識」の競合性と排除性を考えてみましょう。知識を得るためには本などが必要で、それそのもの自体はある程度の競合性があります。しかしながら知識そのものは競合性が存在しないと言えます。また「知ること」そのものを制限することは出来ないので、排除性も存在しないと言えます。すなわち競合性と排除性が存在しない知識というものは公共財の性質を持つといえるでしょう。
このような公共財というものは、基本的に民間による供給が十分になされないということや価値に見合う対価を支払わない「フリーライダー」が発生してしまうという問題が発生しうります。つまり新しい知識の供給が民間によってなされなかったり、コストをかけて得た知識を適切な対価を払うことなく使ってしまうことによって、知識の生産が経済的ではなくなってしまうという問題が発生する可能性があるということです。
しかしながら知識の探求は(経済的かどうかは置いておいて)飽くなく続いています。そして得られている知識の全てが完全な「新発見」といえるものではないということものは注目するべきでしょう。新しい知識のベースにかつての知識があるということですね。すなわち知識は新しい知識のために存在しているという側面があるといえるのではないでしょうか。
一応私はこの側面が大好きなので、コンテンツというものはその存在が過去のコンテンツから何らかの影響を受けているし、そのため将来のコンテンツのために影響を与えることが出来るような形で公開するべきだと思っています。
最低ライン
このサイトを含め、私のコンテンツの多くは「最低」になるように作っています。しかしながらこれはクオリティを意図的に下げているという意味ではなく、私から吐き出されるものが同じようなコンテンツの最低ラインとなるように作っているという意味です。
よく分からないことが出たら人に聞く前にggrksという言葉があります。この言葉の前提として「検索エンジンに適切なワードを投げれば、十分な結果が返ってくる」というものがあります。
しかしながら、場合によっては検索結果の大半を占める「ブログ」というのは、アフィリエイト収入を主眼としている人々が大手を振って新規参入者を情報商材を用いて招いているせいで、「いかがでしたかブログ」という(原義的な)メディアと呼んでいいのかすら怪しいものが林立している状況です。かつて優良な情報を提供していた「個人サイト」の多くは無料ホームページスペースのサービス終了に伴う情報の一斉削除によって、Internet Archiveを通してでしかアクセスできなくなってしまっています。
またアカデミックな情報はある程度検索方法を工夫しなければ出てきません。その上断片的かつ事前情報が無ければ何言っているのか分かりづらい情報である可能性が非常に高い上、網羅的な情報は書籍に集中している状況です。書籍を読めば網羅的な情報が得られることは非常に良いことであるとは思っていますが、情報へのゲートウェイが検索エンジンである人々にとってその網羅的な情報へたどり着くことは簡単であるとはいえないと思います。
これがためにGoogleで検索しても適切な情報にたどり着けないという現象が起こりがちです。これはちょっと残念ですよね。そのためこのサイトでは適切な情報として最低ラインの情報を届けられるように努力しています。
Reuse
このサイトのコンテンツは基本的にCC BY-SA 4.0でライセンスしています。一部コンテンツは異なるので詳しい情報は各ページを見てほしいですが。
わざわざ再利用を勧めるようなライセンスにしているのには当然ながら理由があり、私が
- Wikipediaへ定期的に寄稿しているのでCCライセンスへの理解が深かったこと
- かつてのコンテンツに影響を受けているので、私が亡くなって70年経つ前に自由に使用して新しいコンテンツを作ってほしいこと
- 自由なものとして放ったものは自由であり続けてほしいこと
を考えていることがあります。上で大分書いたと思うのであまり説明することは無いと思うので、こんな感じに考えていると理解していただければ幸いです。
最後に
このページはAboutページの補足のような内容なので通常記事として流すかどうか迷いましたが、Markdown形式で書く方が楽なのでこの形で出すことにしました。
この辺りの話は前回の記事や100記事記念の記事、そしてざっくりわかるシリーズにも関連してくるので、いないとは思いますが私のサイトの考え方を知りたいと思った方はそちらも併せて参照していただけると幸いです。