海底では「ブーマシーケンス」の通りに堆積するのか?

タービダイトはどんな時でも1つの原則にのみ則って積もるか? / 2023-02-20T00:00:00.000Z

かつて私は日本語版ウィキペディアに対して「バウマシーケンス」という名前の記事を立てました。このサイトはあくまで私が置きたいものを置いておくサイトではあるものの、ざっくりわかるシリーズはそれなりに事実ベースで話を進めているので、(自分で言うのはかなり恥ずかしいですが)Wikipediaと若干似ているような場所といえます。そのためWikipediaに書かれていること以上に書きづらいという課題はあるのですが、頑張って書いていこうかと思います。

結論

  1. タービダイトの堆積の仕方に関する法則
  2. 1965年にBoumaさんが提唱した
  3. 個人的には「ブーマシーケンス」という表記が好き

堆積の順番

前回の記事ではタービダイトについてざっくりと紹介させていただきました。タービダイトは混濁流によって形成される堆積物で、その多くは砂や泥であることが知られています。このタービダイトは水中(ほぼ全ての場合において海中)で起こるのですが、陸からある程度離れた海底で形成されるため、ある程度パターン化して考えるという方法を取ることも出来ないこともありません。

1962年にアーノルド・ブーマさんは著書で、陸上にあるタービダイト堆積物を観察した結果、タービダイトの多くは級化層理のようにある種パターン化された部分に分けられるという理論を発表しました。このパターンは5つの部分に分かれており、場合によっては一部欠落していたりするものの、多くのタービダイト堆積物にはそうしたパターンが見られるとしていました。

これが発表された当時はタービダイトの研究はまだ成長中であり、混濁流そのものに対する理解も現在の視点から見れば十分であると言い難いものでした。すなわちこの理論が完璧でどこでも適用できるようなものではないことに留意する必要があります。個人的には過度な一般化、早まった一般化の面は否定できないものだとは思います。しかしながら多くのタービダイト堆積物にはこの構造が見られることは(一部の欠落が当たり前のように見られることを受任すれば)十分に言えることであり、決して意味の無いものであるというのも確かです。

重要なのはタービダイト堆積物を見た時に、それを無理矢理にでもブーマシーケンスに当てはめないことだと個人的には思っています。ブーマシーケンスは無用の物ではありませんが、それはあくまで参考程度にして目の前のものと向き合っていくのがいいと思っています。この記事を読んでいる方が初めてブーマシーケンスに触れた際、それが水戸黄門における印籠のような扱いをされてしまっていることも多いかもしれませんが、そのような視点がある、ということも認識していただければ幸いです。

表記

この法則(?)の呼称についてですが、英語圏においては「Bouma sequence」というものに安定しました。新しい理論等は往々にして色々な名前で呼ばれることがあり、有名どころでは「X線」の呼称があまり安定せず、現在でも「レントゲン線」という呼び方がそれなり使われているようなもの、というイメージが分かりやすいかなと思います。これもこの例に漏れず「Bouma Model」であったり「Bouma Cycle」であったりとかなり適当な呼称が使われていたのですが、結果として「Bouma sequence」という表記に収束していったという感じです。

幸か不幸か日本語圏にはこうした理論の類は若干遅れて伝わることが多く、「Bouma sequence」と表記がかなり安定した頃に広まっていったと考えられます。しかしながら発案者でもいらっしゃる「Bouma」のカタカナ転写が全く安定しないおかげで、色々な呼称がなされています。私が見たことある表記ですとこのようなものがあります。

  • ブーマシーケンス
  • バウマシーケンス
  • ボーマシークエンス

個人的なBoumaはブーマだと思っているので一番上のブーマシーケンス表記が大好きなのですが、世の中の人間は必ずしもそうではないらしく中段のバウマシーケンス表記がまま見られます。また下段のボーマ表記も最近ではあまり見ませんが、古い文献を読んでいたりするとよく見られます。この表記の不安定性は普通に検索する際に3回+α検索する必要があるのでやめてほしいし、さっさとどれかの表記に統一して欲しいなという気持ちがあります。しかしながらそうした動きが見られないので、悲しい気持ちに毎回なっているなっています…。

関連リンク

最後に

次回のざっくりわかる堆積システムシリーズ: 偽礫はどのようにして形成されるのか

自分で記事を立てといてアレですが、Wikipediaにリソースを全力でぶち込むとここで特筆することが無くなってしまいました。何というか嬉しくもあり悲しくもあるという不思議な感情です。

ついでに言えばかなり個人的な気持ちが強く出てしまっているので、これを読まれる方がここに書いてあることの全てを、さも事実であるように扱わないことを祈ってこの記事を終わりにしようかと思います。

Writer

Osumi Akari